それでも、海と生きる
二年前のあの日、私は、知床の羅臼へ移動していました。
翌日から始まる予定のロケを思い、
ワクワクしながら。
穏やかに輝く羅臼の海に目を細めつつ、たどりついた宿で目にしたのは、
テレビ画面から流れる津波の映像。
手から滑り落ちた荷物がたてた、どさりという音で、
あまりの光景に自分の意識が飛んでいたことに気づきました。
日常生活とかけ離れた悪夢のような光景に触れ、「海は怖い、嫌い」と感じる子供たち。
彼らを前にして、自分の言葉が全てそらぞらしく感じられ、
しばらくは書くことも話すことも、できなくなりました。
あの翌日に見た、また違う意味で、現実とは思えないほど美しい風景。
知床半島を背景に広がる氷海を前に膝の震えがとまらなかったのは、
前日のことなどまるで嘘のような、しん とした静けさと穏やかさ、
それを美しいと感じてしまう自分の心が、怖かったのかもしれません。
あれから2年。
私は再び語りだし、世の中は元に戻りつつあるけれど、
ある日突然に失われた命と生活を思い、
身の内深く沈んだまま決して癒えない痛みを抱えて生き続けなければならない人々もいる。
そんな現実を忘れてはいけないと、改めて心に刻みながら・・。
母のように与える一方で、無慈悲に奪っていく…
そんな海と、これからも生きていく。
かすむ知床半島、流氷、そしてクラカケアザラシ。
ささもり
« パイのお話し | トップページ | オホーツクの生態系とその保全 出版 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント